yasunoria’s notes

The blog of Yasunori Arashi

藤根さんとの思い出/訃報に接して

弊社、グルーコード株式会社の株主でもあり、最大の理解者でもある藤根淳一さんが大好きなロードバイク中の交通事故でお亡くなりになりました。心からお悔やみ申し上げます。社を代表し、哀悼の意を表します。

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藤根さんからのご恩と思い出は語り尽くせません。私の現在があるのは藤根さんのお陰でもあります。お話したり、お酒を酌み交わしたり出来ないと思うと非常に悔やまれます。

藤根さんとの出会いは振り返ると2007年春の頃です。当時私が代表を務めていたワイズノット社の株式増資による資金調達を取締役会と株主に否決されてしまったことにより、投資フェーズにあった赤字のSaaS事業(約3,000社使用)を売却することによって乗り切ろうと考え水面下で交渉を進めていました。

その売却先候補の一つ、Yahoo!Japanの交渉相手として藤根さんは事業推進室長(執行役員)として陣頭指揮をされていました。まだ建設中の六本木ミッドタウンの真新しい会議室で数ヶ月の交渉後、13~14億円ほどの買収案としてまとめて頂き、取締役会と株主の同意を取り付けるためにYahoo!Japanの押印文書まで用意してもらいました。故人である当時のYahoo!Japan井上社長にプレゼンしたことも記憶に新しいです。意見表明(LOI)に押印した文書を出すのは大変なことだったと後日聞きました。

結果としては、それほど高い評価ならば、IPO(株式公開)を目指すべきだ、但し資金調達はせずにという取締役会と株主による判断により否決されてしまい、話は無くなり、その年末には民事再生法申請という残念な流れになりました。(私の株式持分は13%)

民事再生処理も終わった秋に藤根さんは私に声をかけて頂き、Yahoo!Japanにおける法人向けサービスのテコ入れ、グループ会社の統合、そして果たせなかったSaaS事業をYahoo!Japanで再現、実現して欲しいこと等を話してくれました。そこから再度起業するまでの1年2ヶ月の間、法人向けサービスの見直しやクラウドサービスの企画、事業会社の買収等、裏方としてご一緒にお仕事させて頂きました。(やっている仕事に対して報酬が高かったこともあり、捨て扶持もらっている、申し訳ないという想いが強かったです。)

円満に退職し、藤根さんにも後押しされるような形で前会社を起業後は外からいくつかお手伝いさせて頂くこともありましたが、あまりお役に立てたとも言い難い感じでした。

その後、私の100%出資でグルーコード株式会社を設立した後、改めて設立のご挨拶を申し上げたところ、図らずもご出資という形で応援頂けることになりました。過去の株主対応で大変だった経験と社員重視の経営方針から100%出資による独立経営しようと考えていた矢先でのことでしたが、藤根さんとまたご一緒に仕事をしたい、また、それであれば私に何かあった時に経営を見てもらえる方として参画して頂こうという趣旨で少数株主になって頂きました。同時に共同創業者でもある内田さんにも声かけさせてもらい、お二人に株主になってもらったという経緯となります。

後日、現monoclaの事業モデルをお話したところ、これは絶対にやり遂げた方がいい、Yahoo!Japanでも、ネット業界でもまだ無い、新しいビジネスモデルであり、なかなか面白い。ネット業界はすぐに真似をするから、特許抑えたり、水面下で開発を進めたら良いよというアドバイスを頂き、現在に至ります。藤根さんはYahoo!Japanの中で法人向け新規事業の立案や持ち込み案件を多数見てこられていましたので、その経験からのアドバイスは非常に貴重であり、勇気づけられました。資金の無いところから開発投資を続けていましたので、何度かくじけそうになりましたが、みんなの協力も得て、何とかスタートラインまで来ることが出来ました。

いよいよこれからという時に、久しぶりに近況やmonoclaのご報告をしようと思っていた矢先での訃報でした。1ヶ月位前に連絡しなければという思いがずっと頭にあったのですが、もっと早く連絡して、面会していたら、時の流れが変わり、事故にも遭わなかったのではないかと思わずにはいられません。

monoclaのサービススタートや元Yahoo!Japanの那須さんの代表就任や喜多埜さんの顧問就任のこと、ご報告したいこと、沢山お話したいことがありました。そうしたことも今ではもう出来ません。喜びを共有出来ない。大変喜んでくれたであろう笑顔ももう見ることは出来ません。とても悲しいです。

思い立ったときに行動しなかった、忙しいからとか理由つけて、先送りしていたこととか、もっと大切にしなければならないことがあったととても悔やまれます。


藤根さんからの思い出の言葉

・まだまだリハビリ中だね。無理しないでやったら良いよ。(2009年)

・社長じゃ無いのだから、決めちゃダメだよ。時間かかっても、みんなに任せていこう。(2009年)

・嵐君もようやくアクセルだけでなく、ブレーキも踏めるようになったんだね。それは良かった。肩の力を抜いて経営したら良いよ。(2014年)

・(monoclaの事業について、投資継続が大変な時に)絶対やったほうがいい。諦めないで続けた方が良い。面白いと思うんだけどなぁ。(2015年)


藤根さん、本当にありがとうございました。