6年前の2020年5月、私はこのブログで「日本電産の永守さんから観る今後の日本」という記事を書きました。
当時、コロナ禍という未曾有の危機の最中で永守さんが放った「これからはテレワークの時代、ナマケモノには厳しい人事評価で行く」「自分で変革せよ」という発言に対し、私はトップダウン経営と自律分散型組織のバランスという観点から、一つの懸念を綴りました。
“変革を促すために人事評価を盾にしてやらせる。自律分散型組織とはほど遠いですね。(中略)これでは社員はやっているフリをするだけでしょう。本当には変わりません。”
あれから6年。ニデックで発覚した現場主導による不適切会計のニュースに接し、私は当時の懸念が的中してしまった悲しみと同時に、一人のカリスマ経営者が直面した「組織の巨大化」と「承継」というテーマの重さに、改めて深く考えさせられています。
稀代の名経営者である永守さんの元で、なぜこのような事態が起きてしまったのか。敬意を込めて、その経営論の本質を振り返ってみたいと思います。
変わらぬ「成功法則」が、組織の巨大化で生んだギャップ
永守さんが変わってしまったのか、それとも最初からそうだったのか。 私は、永守さんの本質は「昔から一貫して変わっていない」のだと思います。
「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」に代表される、徹底したハードワークと執念の経営。これこそが、何もないゼロの状態から同社を世界的企業へと押し上げた最強の成長エンジンでした。かつては永守さんの強烈な熱量が現場の末端まで直接届き、成果を出した人間が圧倒的に報われる仕組みが機能していました。
しかし、企業がグローバルに巨大化し、EV(電気自動車)向けモーターなどの未知の巨大市場へ舵を切ったことで、物理的な限界が訪れます。
どれほど超人的な経営者であっても、これだけの規模の現場すべてに目を光らせることは不可能です。結果として、永守さんの「高い目標をやり切る」という純粋な経営哲学が、仕組みとして現場に降りていく過程で、いつしか「数字を達成しなければならない」という過度なプレッシャーへと変換されてしまったのではないでしょうか。
現場が自律的に変革を遂げる前に、叱責を恐れるあまりに「数字を合わせてしまう」という歪みが生じたのだと推察されます。
老齢という「時間的制約」と、創業者ゆえの焦り
もう一つ、私たちが忘れてはならないのは、永守さんが置かれていた「時間との戦い」というあまりにも重い背景です。
近年のニデックは、外部から招聘した経営幹部へのCEO承継が難航し、度重なる交代劇が続いていました。「自分が健全に動けるうちに、完璧な形でこの巨大な愛着ある事業を次世代へ引き継がなければならない」という創業者特有の時間的制約。その責任感の強さゆえの焦りは、想像を絶するものがあったはずです。
そこへ中国市場を中心とするEV市場の急激な環境変化が襲いかかります。
「一刻も早く軌道に乗せ、次の世代に渡したい」という時間的制約と高い責任感が、現場への要求をより厳しいものにしていったのかもしれません。正攻法では届かないほどの高い目標に対し、現場がカリスマの期待に応えようと追い詰められてしまった構図が見えてきます。
それでも色褪せない、永守重信という経営者の偉大な功績
今回の件は、どれほど優れたトップダウン経営であっても、組織が巨大化した際の「心理的安全性」と「権限移譲」の難しさを示す、日本経済界全体の重い教訓となりました。
しかし、この一事をもって、永守重信氏が築き上げてきた功績の輝きが失われることは決してありません。
1973年、わずか4人でプレハブ小屋からスタートした日本電産を、世界シェアNo.1のモーターメーカーへと育て上げ、売上高2兆円を超えるグローバル企業にまでビルドアップしたその手腕は、戦後日本の奇跡そのものです。幾度もの不況を乗り越え、世界中で数万人規模の雇用を生み出し、日本のものづくりの強さを世界に証明し続けたその背中は、今なお多くの経営者にとって最高の教科書であり、憧れです。
一人のカリスマが命を懸けて築いた巨大な城だからこそ、そのバトンを渡す最後のステップがいかに困難であるか。
永守氏は今回の事態を受けて引責辞任という形で一線を退かれることとなりましたが、命懸けで守り、育ててきた企業だからこそ、自らの幕引きを以て組織の「次への変革」を託されたのだと感じます。
稀代の創業者が遺した偉大な遺伝子と今回の重い教訓を、次の世代がどのように受け継ぎ、新生ニデックを未来へと導いていくのか。私はこれからも、永守氏への変わらぬ敬意とともに、同社の新たな歩みを見つめ続けています。